30 11月

年金者組合府中支部が展覧会・・市民協働と市民自治を実践するために

今日は午前中から赤旗拡大行動、市役所と一般質問の打ち合わせ準備など。さて年金生活者の生活と利益を守る組合、年金者組合府中支部では、3日間にかけて展覧会を実施しています。会員のみなさんによる様々な作品展示会(手芸、写真、絵手紙など)で、楽しい催し企画となっています。

話は少しそれますが、府中市は行政と市民が共に手を携えて、街づくりや市民サービスを充実、発展させようという方針を打ち出しています。それは従来の市民、住民が行政から一方的にサービスを求めて、受けるという姿から、市民や民間も積極的に住民福祉サービスや、街づくりのあり方に参加しようという考えです。そのために府中市では2年前に「市民協働都市宣言」を制定しています。私は「公助・自助・共助」のうち、「公助」という部分が希薄になり、「自助」と「共助」という部分が強調されることに対しては、多少懸念を覚えますが、一方で市民のみなさんが行政に対する意識を育み、そこから「市民自治」(市民が行政を監視、能動的に行政を動かしていく)のあり方が、府中市に根付くことを期待しています。

そこで私は、民主的な運動団体も市民、住民の声をうけとめ、これを実現させるために行政に対して運動、要求するのは当然として、同時に行政のなかに自らも参加、貢献しながら、「市民自治」を府中市民のなかにも、育んでいくことが重要ではないかと考えています。今後私も議員として、市民協働の有り方について、行政に対して要望もして、実践もしていきたいと考えています。%e6%96%b0%e5%a9%a6%e4%ba%ba%ef%bc%91

29 11月

12月府中市議会・・一般質問は「東部地域の街づくり」をとりあげます

今朝(29日)は府中駅北口であいさつ。さて12月5日から開会する府中市議会の12月定例議会、私は7日に一般質問を予定しています。今回のテーマは「東部地域の街づくり」についてです。東部地域とは、府中市の若松町3丁目から5丁目、紅葉丘、朝日町、多磨町、白糸台などの地域をさします。

この地域は昭和29年に府中市制が発足する前は、旧多磨村といわれる地域で、多磨霊園を中心に石屋さんも多く存在するなど、歴史のたたずまいと威厳を感じさせる地域です。一方で府中市の街づくりの発展が、大国魂神社の周辺を中心とする地域に力点がおかれ、この東部地域は街づくりが少し遅れた地域でもあります。私は今回の質疑のために、この地域の古くからの住民の方々に、いろいろお話を伺いました。そこでお二人の方が「ここは(東部地域)府中のチベットです」と言われたのが印象的です。一方で古くからの住民の方々は、この地域への愛着と誇りをもって暮らしてきたことも感じました。

この東部地域に存在する西武線多磨駅周辺は近年、東京外語大学の誘致をはじめ、警察学校の開校、榊原記念病院の開院、武蔵の森公園の建設、さらに2020年には大型商業施設(イトーヨーカドー)のオープンが予定されるなど、今後数年で様変わりする様相を見せている地域です。私はこの地域の住民のみなさんの思いを、本会議場の一般質問で執行部に訴えたいと思います。市民のみなさん、7日はぜひ府中市議会へお越しください。

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28 11月

府中で採れた農産物を食卓に・・府中特産品直売所

今朝は西武線多磨駅であいさつ、一般質問の準備、赤旗拡大行動など。さて府中には地元で採れた農産物の直売所が市内にあります。なかでも市街地(府中市役所第二庁舎の1階)にある共同直売所「府中特産品直売所」には、いつも多くの市民の方が買いものに訪れています。「黒米」「生椎茸」など、府中特産の農産物があることでも知られています。やはり地元で採れた野菜というのは、なんとも親しみを感じるものです。

実は私自身も最近、毎晩の夕食について、野菜スープ(10種類以上の野菜)をつくって食事をしています。毎晩の夕食を野菜中心の食事にしてからは、体調もすごぶる良く、まず風邪をひかなくなり、野菜スープダイエットと言われるように、確かに痩せて、ウエストもしまってくるのが、わかるようになりました。

府中にはこうした素晴らしい特産の農作物があります。私が買い物に行く近所のスーパーにも、府中産の野菜があります。ぜひ市民のみなさん、府中のお野菜をたくさん、摂取して健康な身体を維持しましょう。%e5%ba%9c%e4%b8%ad%e8%be%b2%e7%94%a3%e7%89%a9%e8%b2%a9%e5%a3%b2

27 11月

府中市消費生活展・・市民協働を市民が主体的に行う

今日は赤旗拡大行動、また午後には府中市消費生活展(府中グリーンプラザ分館)を見学してきました。今年のテーマは「2016足もとから見つめよう!地球といのち」。さまざまな目的を持つ市民運動団体のみなさんによる、日頃の取り組みの成果を展示する催しものです。「学校給食を考える市民の会」をはじめ、生活クラブ生協、府中かんきょう市民の会をはじめとするエコ関係の市民団体など、様々な目的をもつ運動団体が、府中の街をより良い街にするめに、市民の立場から運動している団体が展示をしています。私は、行政が市民運動団体のみなさんの知恵とエネルギーを引き出すこと、そのための環境づくりを行うことは、市民自ら主体的に市民協働を発展させるためにも、重要だと思います。主催は府中市消費生活展実行委員会。%e6%b6%88%e8%b2%bb%e8%80%85%e5%b1%95

26 11月

府中市美術館で開催中、「藤田嗣治」展を見て

今日(26日)、府中市美術館で開催している、「藤田嗣治」展の観賞に行ってきました。藤田嗣治氏は戦前から戦後にかけての画家、1914年にフランスに渡り、「パリの寵児」とも言われるほどの売れっ子の画家に成長、1933年に日本に帰国後は、従軍画家として活動。陸軍美術協会の幹部として「大日本帝国」政府の戦争遂行に協力。これが後の敗戦により、同氏の人生を大きく変えてしまいます。以下、Wikipediaでは、「戦時中日本に戻っていた藤田には、陸軍報道部から戦争記録画を描くように要請があった。国民を鼓舞するために大きなキャンバスに写実的な絵を、と求められて描き上げた絵は100号200号の大作で、戦場の残酷さ、凄惨、混乱を細部まで濃密に描き出しており、一般に求められた戦争画の枠には当てはまらないものだった」とあります。実際私も観賞して、なかでも「アッツ島玉砕」(作品)は見るものに、戦場の迫力とそこで犠牲になる人間の残酷さを覚えました。

さらにWikipediaでは「(戦後)戦争協力の罪を非難され藤田は、渡仏の許可が得られると『絵描きは絵だけ描いて下さい。仲間喧嘩をしないで下さい。日本画壇は早く国際水準に到達して下さい』との言葉を残しパリへ移住、生涯日本には戻らなかった。渡仏後、藤田は『私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ』とよく語った。その後も、『国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いたのになぜ非難されなければならないか』、と手記の中でも嘆いている」と記述。いわば当時の日本政府の国策に大きく翻弄された藤田嗣治氏の人生。私は決して絵画のことを理解する知識など、まったく持ち合わせていない者ですが、この展覧会を観賞して、国家の政策が与える個人の人生への影響と、深いかかわりを感じずにはいられませんでした。藤田嗣治氏は後の1955年にフランス国籍を取得、1968年に没。%e3%82%a2%e3%83%83%e3%83%84%e5%b3%b6