24 11月

市民負担を強いる公共施設の使用料値上げ案が提出される・・府中市議会・総務委員協議会

今日は午前中、市議会の厚生委員協議会に委員として出席、来年4月から府中市でもスタートする、介護保険の新総合事業の報告など6件の報告提案がありました。さて今週月曜日(21日)の総務委員協議会では、「使用料の負担割合(案)」の報告がありました。これは、市民活動に影響の大きい公共施設の使用料を「受益者負担の原則」により、原則として有料化するともの。昨年度から、すでに実施された住民票や印鑑証明などの発行手数料の値上げに続くものです。

今後は、社会教育登録団体についても、月2回まで無料で使用できた文化センターの公民館部分の使用料も原則有料化されます(ただし減額措置はある方向で検討)。さらに公共施設に付随する駐車場についても、現在無料のものを、「民間で同様のサービスが行われている」という理由で、民間サービス並みに有料化する方針となっています。現在具体的な使用料金は提示されていませんが、施設の維持管理などのコストに対して、すでに施設名ごとに利用者負担の割合案も示されています(ただ、障害者への減額・免除などは引き続き継続されます)。党議員団は市民に負担を強いるもので、市民協働推進の考えにも矛盾するものとして反対しています。市では今後、パブリックコメントを募集(12月から5月まで)しています。ぜひみなさん、お寄せください。

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22 11月

府中にあるベトナム料理・・福英料理(西武多摩川線・競艇場駅前)

今日は午前中、市議会・文教委員協議会、打ち合わせなど。さて、私は4年ほど前からベトナム戦争でアメリカ帝国主義にうち勝った、ベトナム人民に憧れ、多くのベトナム戦争やベトナム共産党指導者、ホーチミン主席の書籍もたくさん読みあさりました。ベトナム人民の楽天性と不屈性にあこがれ、私もあのようになりたいと思いました。ベトナムはその昔、ながくフランスの支配下のおかれ、第二次大戦後、対仏戦争の勝利後はアメリカ帝国主義との戦い(ベトナム戦争)を余儀なくされました。この時のベトナム民主共和国の指導者であるホーチミン主席の言葉に「自由と独立ほど尊いものはない」というものがあります。これは第二次大戦後、アメリカの従属国におかれたわが国の国民の一人として、魂にふれる言葉であります。

3年前の夏には、ベトナムツアーに行き、激戦のベトナム戦跡の地にふれてきました。私はベトナム戦争を戦い、民族独立のために死んでいった、ベトナム人民一人ひとりを尊敬する思いを強くしました。それは共産党員としての心の支えでもあります。

さて、そんな私がこよなく愛するベトナム料理のお店が、市内の小柳町にあるベトナム料理のお店「福英料理」です。ベトナム料理は味がとてもマイルドで、辛みのあるアジアン料理なかでも一味違うもので、私の味覚にあいます。揚げ春巻き、蒸し春巻き、生春巻き、フォー(日本でいえば、うどん)など、たくさんのベトナム料理の品ぞろえのあるお店です。西武多摩川線の競艇場駅前にあります。ぜひみなさん一度、ご来店ください(月曜は休み)。

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19 11月

大学生に給付型奨学金制度を実現を!

今日(19日)の東京新聞朝刊には、「誰もが安心できる奨学金を」、「給付型求め、大学生らが国会デモ」・・との記事が掲載されています。紙面では、昨日(18日)の夜、国会正門前で開催された緊急集会の様子を伝え、「奨学金を受けている大学生らが、政府の検討する給付型奨学金の対象者は七万五千人にすぎず数%の学生しか救えない。本物の奨学金をなどと訴えた」とあります。この集会を開いたのは、首都圏の大学生のグループ「Rights to Study」で、十月に十五人で結成。記事では「都内の美術大四年の女子学生(22)は月九万五千円の奨学金を借り、卒業後に利子を含め五百七十万円を返済しなくてはならないと語った」、「都内の私立大三年の男子学生(20)は卒業後三百万円を返さなくてはならない。日本は学費が高く、奨学金も利子までついておかしい。本当に困っている学生に給付されるように規模を広げてほしい。誰もが安心して使える本物の奨学金にしてほしいと訴えた」とあります。

私は1989年に都内の私立大学に進学しましたが、1年と2年時は新聞奨学生として、新聞販売店に住み込みで働きながら大学に通いました。自身で入学金と学費を負担しましたので、この給付型奨学金制度の創設については、特別に思うところがあります。1989年当時の経済状況は、バブル経済絶好調の時代。1989年12月の日経平均株価がなんと、39000円近くにまで値をつけました。こういう時代でしたので、当時の大学生には、教育ローンを借りて学生をしていた方は、今ほど存在しなかったと思います。しかし今日では大学生の2人に1人が教育ローンを借りて大学に通っているとのこと。新聞記事にもあるように、社会にでて借金を背負いながら働くのは、本当に過酷なことです。若者は日本の未来の宝です。給付型奨学金は、投資的経費として充実するべきと考えます。国会ではもちろん、地方議会でも、この給付型奨学金制度の実現を求めていきたいと思います。

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18 11月

府中市の中心市街地活性をどうするか・・富良野市の取り組みから学ぶ

今朝(18日)はJR北府中駅前であいさつ、さて共産党府中市議団では、14~15日にかけて、北海道の旭川市と富良野市を視察しました。今回の視察のテーマは、「中心市街地活性化とまちづくり会社」についてです。府中市では20年をかけ、府中駅前の再開発事業を推進。1996年に伊勢丹とフォーリスを、2005年に「くるる」、さらに来年7月スタート予定の第1地区の完成で終了します。しかしながら現在の状況は、先日、伊勢丹府中店が2年以内に縮小・閉鎖の発表があるなど、再開発事業が成功しているとは言えない状況。そこで府中市は「中心市街地活性化計画」(中活)を策定し、特定目的会社として『まちづくり会社』を設立する計画です。こうしたなか、共産党市議団では、他自治体の市街地活性化の取り組みを学びに行きました。

旭川市の場合は、丸井旭川店が撤退、イオン進出の一方で、西武が撤退とするという複雑な状況で、まだ中活が成功しているという状況には至ってない様子。一方、富良野市は地元の商工会所属の複数の経営者がリーダーシップを握り、民間と市民が主導でまちづくり会社を運営し、イベント型事業としてマルシェ(店頭即売販売)の成功などで、活気を取り戻しています。その証拠に、北海道内で地価をあげている3つの自治体のうちの、富良野市はその1つになっています。成功のカギは、行政が民間と市民の取り組みをバックアップすることに徹していること。街の活性化事業を成功させるカギは、地元の地権者、経営者、市民が主体的に「本気」になって、中活を成功させる気概があることを実感しました。2020年のオリパラにむけ、「府中らしい中心市街地」の賑わいをどう発揮させるのか、私も大いに研究し、議会でも取り上げたいと感じています。

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17 11月

府中市多磨町の歴史・・行政権力に対する反骨の歴史を刻む街

今朝(17日)は朝、西武線多磨駅であいさつ。さて私の活動地域のひとつに、府中市の北東部地域があり、そのなかに多磨町があります。府中市施行以前(S29年)は、多磨村という自治体でした。その中心地としての多磨町は、今も武蔵野の面影を残し、緑と歴史を感じさせてくれる街です。多磨町は三鷹市や調布市、小金井市などに隣接する地域で、代表的な施設として大正12年には多磨墓地が建設され、政財界や文化、スポーツ界などで活躍した著名人が今も眠っている一大墓地。「多磨町の歴史」(H4年、多磨町会発行)を読みましたが、感想を言えば、府中市のイメージ(大国魂神社を中心とする武蔵国府がおかれた歴史)とはまた違う、多磨村独特の奥深い歴史を知ることができます。

この書籍によれば、江戸時代は多摩川の洪水との生死をかけた住民のたたかいに始まり、戦前はこの地に調布飛行場が建設、戦後の一時期、それは米軍基地へと姿を替えました。この多磨町には「おおいやま地区」と言われた地区があり、大変痩せ細った地でありましたが、終戦後の厳しい食料難のために、食料補助の目的で小規模開墾が始められたそうです。さらに昭和30年代に入り、調布(二枚橋)塵芥(じんかい)焼却場建設の反対運動に始まり(S31)、おおい山地区を東京都が武蔵野公園用地として事業決定されたことに対する反対運動(S32)、新人見街道建設の反対運動(S37)など、住民の意向を無視した行政権力に対する、反骨のたたかいの歴史が、この多磨町に刻まれていることも知りました。

私は今後も、多くの住民の方々からお話しをお聞きして、多磨町に住む人々の思いを受けとめ、多磨町をはじめとする、旧多磨村地域の発展のために、一人の議員として貢献する決意を新たにしています。

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